柚葉通言

考えにくいことを考えるブログ

どうなってるのか判らない

日目まぐるしく状況が転がりまくり、デルタドライバーの如く所有者が移り変わるsyamuさんであるが、とりあえず今は行方不明と云うところで落ち着いているらしい。北陸進出と云う説もあるが、富山出身としては、べらぼうだよ、syamuさん。あの土地にはアンタを受け入れる器はないぜ。

まァ、そんな感じで、他人の人生を眺めて笑っているわけだけれど、部外者がとるべき態度はそれ以外にないと思う。今回の件については、お上にご厄介になった方もおられるとのことで、それは当然の帰着と云うか、syamuさんに人格的に問題があるかどうかはともかくとして、そりゃアンタ、依存される覚悟もなく人の力になろうとするのは大間違いである。

俺自身、高校時代からの友人に相談を持ちかけられ、依存され、最後には恨まれたことがあったが、これは誰が悪いかと言えば、絶対的に俺である。相談された時点で、その件に関して俺が無力なのは明らかだったのだから、誠心誠意、力になれないことを伝えるべきだったのだ。それをば、それなりに距離をとって……それなりにアドバイスして……と云うようなことをつづけたのだから、如何に相手に人格的欠陥があろうとも、非はこちらにある。

他人の人生は他人のものである。我々に出来るのは、笑うだけだ。だからどうか、俺に相談を持ちかけようとする方は肝に命じておいてください。俺はあなたのことを笑ってますよ。

書く

ヶ月とか二ヶ月とかぶりに長編小説の続きを書いた。古今東西、これだけ自作に関心のない作者も少ないと思われる。夏休み中の小学生でも、もう少し自分のアサガオを気にかけるだろう。

正直、これが完成しても完成しなくてもどうでも好いと思っている。小説と云うのはどこで切っても好いものだから、このへんで投げ出すのも手かと思う。しかし、おそらくそれはやらないだろう。俺にも義務感があるのだ。

だが、道は長い。初稿が上がって、それを「小説らしい」面構えに整えてやるまで、果たしてどれだけの時間を要するだろう。一寸、たとしえもない気持になる。

ならば、一旦長編小説から離れてみるのはどうか。たとえば、短編を書くとか、評論を書くとか……。まァ、それも好い。じっさい、アイディアはいくらでもあるのだ。短いものであれば二週間ほどで書けるだろう。だが正直、また一から書き始めるとなると、如何にも億劫なのだ。ワードソフトが真っ白なのを見ると、もう本当に心が萎える。誰かが冒頭部分だけでも書いてくれれば良いのだけど……。

本当は女性に興味がないのではないか

近、『ごくせん』のドラマ版を見ているのだが、それにつけても驚くのは、仲間由紀恵以外ほとんど女性が出演していないにも関わらず、これが歴代ナンバーワンの平均視聴率をマークしていたと云う事実である。インターネットの反応を見ると、「仲間由紀恵が可愛いから高い視聴率がとれたのだ」と云う風な書き込みもあることはあるのだが、記憶を探ると、あれが放送していた当時(当方小学生である)、彼女について言及していた友人は一人としていなかった。大体が、小栗旬とか亀梨和也とかの話題であった。そして、問題の仲間由紀恵も、(物語の役割からして)果たして「女性」として扱って好いのかと云う疑問が惹起せられる。

ドラマでも映画でも、女性を魅力的に撮ることが出来る監督は極少数に限られる。これは日本とか海外とかに関係なく、カメラが熱視線を送るのは、もっぱら男性俳優の方なのである。まったく不思議なことではあるが、女優を映すと云う段となると、往々にして撮影者のテンションが下がっているのが見てとれるのだ。

無論、この理由について満足な答えはない。そもそも映像と云うものが、男臭さを希求すべく誕生したものなのだと云う仮説は面白いが、よもやそんなことがあるはずもなく、美しい女優がいて、だからと言ってそれをそのまま映せばおのづから美しい画が出来るなどと云うことはありえず、美しく撮らないことには美しく画面に残ることはないと云う当然の事実を監督が心得ていないはずもない。であるにも係わらず、これほどまでに女性の魅力が画面から抹殺されているとすれば、それは監督の方に女性に対して美的関心がないのだ、と云う結論を出すよりほかにない。加えて言うのならば、それを観賞する側にも、本当はまったく女性に興味がないのではないかと思われる。

実際、昨今でも女性アイドルを主要登場人物に据えたドラマや映画は数多く作成されているが、ドラマの視聴率は振るわないし、映画は大ごけする。代わりに、『下町ロケット』のようなものが大流行し、主演女優の米倉涼子がしかるべく美しく撮られることのない『ドクターX』なんかが好んで見られる。不思議である。