柚葉通言

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伊藤なむあひ『49パラグラフにも及ぶリロの素晴らしき生涯』について

 

49パラグラフにも及ぶリロの素晴らしき生涯 (隙間社電書)

49パラグラフにも及ぶリロの素晴らしき生涯 (隙間社電書)

 

 

藤なむあひさんは真面目な人だ。あるいは、真面目すぎると言っても好い。本作『49パラグラフにも及ぶリロの素晴らしき生涯』は、そうした伊藤さんの性格が如実に顕れた作品である。

氏の作風は、「アヴァンポップ」だとか、ポスト幻想文学」と云う言葉で紹介される。これらの言葉は俺の耳にちと聞こえづらいが、その実、伊藤さんの小説は俺の頭に好く判る。それは、これまでに伊藤さんが楽しんで読んできた小説と俺が楽しんで読んできた小説のかなりの程度が重なるからだと考えられるわけだが……、本作に関して言えば、俺以外の読者にも好く判る作品なのではないかと思う。

要するに、好く出来た小説なのだ。「生と死」、「善と悪」、「父と子」、「書くということ」……、これらのテーマを明らかに読者の前に提示し、詩的な美しい筆致で、幻想的に、更には整然たる構成で以て描くのだから、「判らない」と云う感想なんぞ出よう筈がない。伏線は周到に張り巡らされているし、後半の父との邂逅に至っては、吉行淳之介砂の上の植物群』を彷彿とさせる、如何にも「ブンガク的」な展開だ。しかるに、「仕上げ」が丁寧で、「物語」として文句のつけようがない反面、その「完璧さ」が故に、本作の塩梅に「通俗」の影を落としているけはいがないではない。

たとえば、伊坂幸太郎『モダンタイムス』にエンターテイメント系の小説家が登場するのだが、彼の台詞に「分かりやすいストーリーの中に少し前衛的な要素を組み込むことで批評家を黙らせる」と云うようなものがある(なにせ本がどこかに行ったのでハッキリしたことは言えない)。本作の方法論はこの言葉の中に見出だすことが出来る。即ち、「前衛的な文体でありながら、『物語』のガジェットを応用した整然たる構成をとることで、読者の『判らない』と云う感想を予め封じておく」と云う、「サキマワリ」的な操作がこの作品からは見てとれるのだ。この「サキマワリ」的操作の所為で……、つまり「物語」的な還元が邪魔をするために、踏込むべき主題にもうひとつ踏込みきれていないという印象を読者に与える。「死者や死の世界と云うのは、そんなにも明晰な言葉で描かれうるものなのだろうか」と云う疑問がどうしても俺の中に生じてしまうのである。 

もう一度言う。伊藤さんは真面目な人だ。ハッキリ職人気質の作家である。磨き上げられた技術を持ち、サービス精神も旺盛だが、氏の仕事の向かう先は、その最大の武器である文章技術をはねのけた向こうにこそある。それは、「脱構築」と云う言葉とも違うが、しかしその「脱構築」を行う過程にこそ伊藤さんの書くべき姿勢があると思われる。

作家とはもっと勝手で好いのではないかな。